「おらァ!」

 土方が投げつけた長方形の何かが、スコンッと良い音を立てて銀時の後頭部でバウンドした。

「ってぇえええ! いきなり何しやがる」
「やかましぁ! てめぇがよこせよこせよこせよこせうっせえから買ってきてやったんだろうが! 感謝しやがれこの白髪天パァ!!」

「え……?」

 ここは万事屋の居間。炬燵に足を突っ込んで後頭部を撫でていた銀時の表情が一気に輝いた。
 死んだ魚の目が光を含んで煌めく。赤色の瞳に土方がほんの一瞬だけ見とれた。

「マジで買ってきてくれたの!? うわ、ちょ、これ夢じゃねーよな? 俺起きてるよな? どこ、どこいったチョコレート!」

 今日は乙女のイベント、バレンタインデー。
 銀時は年が変わろうとする前からずっと、土方にチョコレートをねだり続けていた。
 しかし期待はしていなかった。ほぼ百パーセントくれはしないだろうと思っていた。まさか買ってきてくれるなんて期待していなかっただけに喜びもひとしおだ。

 炬燵から飛び出してバウンドしたチョコレートを探し出し――――がっくりとうなだれた。

 バレンタインのチョコレートと言えばハート型の箱にピンクのリボン。愛の言葉のかかれたメッセージカード。そんなふわふわしたイメージのチョコレートを想像するものだが、土方が投げつけたのは板チョコだった。
 しかも。

「カカオ99,99パーセントってなんだこれ! チョコじゃねーよカカオだよこんなもん! つかどんだけ甘くないんだおめーはァァァァ! おまけに、いかにもパトロールの途中に寄りましたって言わんばかりの格好しやがって! ときめきを返しやがれテメェ!」
 バレンタインのチョコレートを届けに来たというのに、土方の格好は真選組の制服のままだった。
「それが事実だからな。んじゃ帰る」
 さっさと踵を返した土方を、銀時は慌てて捕まえた。
「茶ぐらい呑んでいけよ。神楽も新八も出てるし、銀さん一人ぼっちで寂しかったんだよなー」
「働け。このマダオが」
「へーん、今日は土曜日でーす。まっとうな仕事の人間はお休みなんでーす」
「家賃も払えねえ貧乏人に休みなんて言葉口に出す資格はねぇ。体だきゃー頑丈なんだから一日20時間ぐらい土木作業に準じて来い」
「そんな働いたらただでさえ忙しい恋人と会う時間が減っちまうじゃねーか。恋人がワーカホリックだから俺はぐーたらしてるぐらいで丁度いいの」
 なんつー理屈だ。口の中で文句を呟きながらも、土方は大人しく炬燵に座った。
 銀時がストーブの上の薬缶から茶を入れる。水を足しに台所へ行った銀時は、片手に薬缶、開いた片手にイチゴ牛乳を持って戻ってきた。

 土方の斜め前に座って、チョコレートを開封する。
 ブロックをひとかけら割り、おそるおそる舌の上に乗せて「にが」と肩を竦めた。
「これもうチョコじゃねーな。毒物とか劇物の範疇だよ。飲みこめないほど苦ェ」
 イチゴ牛乳で何とか流し込んで、二つ目を口に入れる。
 茶を啜っていた土方は、そんな銀時を見て目を丸くした。
「何してんだ、テメェ」
「は?」
 チョコレートを食べてイチゴ牛乳を飲んでいるだけだ。
 見て判る行動だけに、銀時は返って返事ができず間抜けに声を漏らした。

「だから、それ、何で食ってんだよ」
「何でって、これ、バレンタインのチョコレートだろ?」
「カカオ99.99パーセントだぞ」
「改めて言わなくても判ってらー。苦いのなんのって半端じゃねぇぞ。俺の舌を馬鹿にして土方スペシャルでも食わせようって魂胆かぁ?」
「だから、なんで食ってんだ?」

「バレンタインのチョコレートなんだろ?」

 平行線の会話が二人の間を上滑りしていく。


 相手の言わんとすることに先に気がついたのは銀時だった。
「お前、バレンタインに送られるチョコレートをそんじょそこらのチョコレートと同列に扱うんじゃねーぞ。コンビニに並んでるようなフツーの板チョコだろうがチロルだろうが、この日に渡されるチョコレートはこの世にたった一つしかない特別なチョコレートに早変わりすんの。しかもお前がくれたんだから、どんなんだって食うに決まってんだろ」

「――――――――――」

 土方は目を見開いた。年明け前から「2月14日にチョコレート寄こせよ」とうるさく言われ続けていたが送るつもりはなかった。
 買ってきたのは「くれなかったら真選組の集会中に屯所に乗り込んで、隊士の面前で熱烈ディープキスかますから」と死んだ魚の目で淡々と脅迫されたからだ。
 土方は剣の腕があり、腕力にも自信があった。一対一で自分が負けるのは江戸広しといえども近藤と総悟ぐらいのものだと思っていた。だが、この男はその剛力で土方のおごりを粉々に粉砕してくれたのだ。本気で迫られたらまず押しかえせない。力負けする。

 屯所で襲われるなんて途方もない醜態をさらすぐらいならチョコレートの一個や二個安いものだ。しかし癪だったので嫌がらせも込めてカカオを極めたチョコレートを叩きつけたのだが。

 脅迫に屈して買ったチョコレートだ。何の気持ちも籠っていない。なのに律儀に食べる銀時に、少しだけ胸の奥が痛む。

「ら、らいねんは、チロルチョコにしてやる。そっちの方が安上がりだからな」
 土方はそっぽ向いて口の中で呟くようにそう言った。
 僅かに見える頬と髪から覗く耳は赤く染まっていた。

 銀時も相好を崩して頷く。
「来年は仕事も休みにしとけよ」

 カカオ99.99パーセントのチョコレートを口に含む。
 胸に広がる甘ったるい気持ちのせいか、イチゴ牛乳を飲まなくともすんなりとかけらは口の中で溶けて消えた。
 




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