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翌朝、目を覚ました土方の頬には涙が流れていた。
どんな夢を見ていたのかは判らない。でも、妙に切ない夢だったようだ。
ぐいっと涙を拭って早朝訓練の指導をするための準備に取り掛かる。
顔に涙の跡が無いことを確認して、土方は部屋を出た。
「あれ、土方さん……?」
万事屋の玄関をくぐると、迎えた新八が目を丸く開いた。
驚いただけではなく、どう対応すればいいのか迷っているのだろう。戸惑いの光が浮かんでは消える。
別れたのだと銀時から話を聞いているに違いない。
「邪魔する」
返事を待たずに、無理やりに中に入って行った。
「あの、でも、その、僕、食事を三人分しか用意してなくて……」
「構わねェよ。メシなんざいらねェ」
ずかずかと進み銀時の部屋のドアを開く。
寝そべってジャンプを見ていた銀時が面倒くさそうに顔を上げた。
「おいおい、昨日の言葉は本気だったのかよ。正気ですか副長サン。お宅の上司、キャバ嬢のストーカーだってのにオメェまで俺のストーカーに走るつもりィ?」
土方は答えなかった。
その場に腰を下ろして、手近のジャンプを引きよせる。
銀時は面倒くさそうに立ち上がり、部屋を出て言った。
『銀さん、土方さんにちゃんと別れを切り出さなかったんですか?』
『いや、言ったっつーの。銀さんそこらへんちゃんとしてるって、テメェも知ってんだろ』
『じゃぁ、なんで――』
声が遠ざかって聞こえなくなる。
開いていたジャンプを閉じて静かに床に戻した。
タバコを吸いたい。そう思うがこの部屋から灰皿は消えていた。それもそうだ。家主も従業員もタバコは吸わない。
「――の決済もあるし、――も明日までとかぬかしてやがったな」
残った仕事の内容を、土方は口の中でかきまぜるように呟く。ここへ来る時間などなかった。仕事が山積みになっている。ここで二時間時間をつぶしたとして、今日の睡眠時間は三時間もとれなくなるだろう。
それでも、来ないわけにはいかなかった。来なければ、きっと銀時との関係が終わってしまうから。
食事が終わったのだろう。ふすまの向こう側から人の気配が消える。
銀時は部屋には戻ってこなかった。
何もしないまま部屋の片隅で二時間を潰し、ようやく土方は立ち上がった。
神楽と並んでテレビを見ていた銀時に「明日もまた来る」それだけを言い残して踵を返す。返事は無かった。
仕事は思った以上にはかどらなかった。床に就いたのはすでに外が白み始めた時分だった。
短い睡眠だったのに、その日も夢を見た。昨日と同じ夢のようだ。
夢の記憶が少しだけ鮮明になっていた。
頬にはやはり涙の後が残っていた。
「副長、昨日メシ食いました?」
早朝訓練のさ中、剣を振るう隊士たちの影で一人ミントンを振っていた山崎は、一通り土方に殴られた後にそう切り出した。
「あぁ?」
タバコをくわえたまま、唇を歪めて山崎を見る。
「いや、その、今のパンチがいつもより軽いなって思って……。そうえいばマヨも減って無かったみたいだし。どっかに食いにいったんですか?」
昨日?
振り返って、そういえば食事を取って無いと人ごとみたいに思いだした。
「副長、ただでさえ体温高くて人より新陳代謝激しいんですから、メシはちゃんと食わないと倒れちゃいますよ」
「うっせ。母ちゃんかよテメェは」
「あんたがちゃんと自己管理できてりゃこんな事いいません。うるさいって思うならちゃんと三食取ってくださいよ」
忙しくなったらただでさえ食事抜くんだから。
ぶつぶつ言う山崎を蹴りつけ、指導に戻る。
早朝訓練を終えた土方は執務に取りかかろうとつい自室に足を向けてしまう。
「副長」
山崎の声に舌打ちし、つま先を食堂に向けた。
今夜も万事屋にいくつもりだった。溜まっている仕事を少しでも終わらせたい。食事を取る時間がもったいないというのに。
それでもうるさく言われると煩わしい。山崎はしっかりした母親が守る温かな家庭で育ってきたのだろう。食生活や年のイベントにうるさいのだ。
「わぁったよ」
山崎は土方が給仕から朝食を受け取り席に着いたのを見届けると姿を消した。今日から数週間、潜入捜査に入るのだと思いだす。
朝食のメニューはご飯とみそ汁、サラダと焼き魚にハムエッグ、デザートにヨーグルト。
昨日食事を取らなかったせいか胃が活動を停止しているようだった。食欲がまるで湧かない。
土方は横に備えたマヨネーズに手を触れないまま、味噌汁を口に含んだ。
二口、三口飲んだだけで腹が膨れたように思う。
一摘み口に入れたご飯を何とか嚥下してから、土方はあきらめて箸を置いた。食べ始めても食欲は出てこなかった。体の中が異物に驚いている気がする。
「箸はつけてねぇから、食えるようだったら片付けてくれ」
となりの男に皿を差出し、味噌汁とご飯は下げてしまう。
部屋に戻ろうとしていたが、急激に気分が悪くなってトイレに駆け込む。個室まで持たず、洗浄台で嘔吐した。胃液を吐きだしてもまだ痙攣は治まらず、口の中が苦くなっていく。
(何だってんだ、畜生)
食ったものが悪くなっていたとでも言うのか。しかし口に入れたのは味噌汁とご飯だけ。しかもごく少量だ。隊士たちに異常はなかった。
土方の体が食べ物を受け付ないのだろう。理由は考えたくなかった。
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