副長室に戻った土方は、机の片隅で小山になっている書類を片付けて行った。
 余計な事は考えないように、ただもくもくと数字を処理する。

 山は半分も片付いていないというのに、手もとの時計が正午をさした。正午からは総悟と一緒に巡回に出なければならない。
 もう少し片付けてから行きたかったが仕方ない。
 屯所の縁側で寝ていた総悟を蹴り起こして、連れだって道を行く。

 途中に遭遇してしまった迷子にかまけている内に、総悟は姿を消していた。どこかでサボるつもりなのだろう。
 どうにか母親を見つけて、巡回の順路へ戻る。

 剣を振りまわして戦えるような、厄介な敵でも現れないだろうか。
 体を動かせば腹も減るかもしれない。そう思いつつ道を進んでいた。

 アスファルトの上の少ない土を掻くように、土方の足が止まる。

 自制する間も無く、踵を返して、狭い路地に逃げ込んでいた。



 正面から、銀時が歩いてきていた。


 隣には丈の短い着物を纏った女性が寄り添っていた。
 華奢で小さくて可愛くて、銀時の好きな菓子細工を連想させる女性だった。



 そして、銀時は。



 土方と一緒にいる時より、何十倍も何百倍も幸せそうに笑っていた。

(あれは、誰だ)
 間違えなく銀時だった。


 つい先日まで体を合わせてさえいた相手だった。



 なのに、知らない人間に見えた。


(なんだよ、あれ)

 あいしてるとかすきだとか散々言ってたくせに、あんな笑顔を見せてくれたことなんて一度もない。

(俺じゃ、駄目だったのか)

 恋人同士だったとはいえども、会えばとりあえず喧嘩をする間柄だった。銀時は我儘な言動をしてみせるものの、肝心な本心を覆い隠す節がある。恋人同士ではあったはずだ。だけど安らげはしなかったのだろう。

(俺じゃ、駄目、だったんだ)


 きっと、もう部屋に行ってはいけないのだろう。銀時はしあわせを見つけてしまった。
 あんな風に笑顔になれる相手を見つけてしまった。

 別れを切り出された日、本人がそういったように、ここで手を引くことが本当の愛なのだろう。

(でも、それでも)

 あと少し一緒に居たい。

 だって、もう、忘れてしまった。

 あの腕がどんな風に温かかったか、
 どんなふうに自分に触れていたか、
 愛している、好きだって言葉の響きさえ、今、全部忘れてしまった。

(もう一度だけ、さわりたい)
(もう一度だけ、さわってほしい)

 いつでも傍にあるものだと思っていた。こんな、突然に失くしてしまうなんて思ってなかった。
 一瞬一瞬を大事にしておくべきだったのに、大切だと知っていたはずなのに、いつしか傍にあるのが当たり前だと勘違いして。

 その貴重さを失くしてから痛感する。

(どうして、俺は、)

 どうして、いつまでもそばにあると思っていたんだろう。





 そもそも土方はあまり人に愛される質ではなかった。

 真選組は土方の「居場所」だが、頭に「唯一の」が付く。隊士からもそう慕われてはいないし、攻撃の要である一番隊の隊長からはむしろ嫌われている。近藤から手を離されればあっという間に土方の居場所は無くなる。

(そっちも、いつか来るかもなぁ)

(万事屋ん時みたく、いきなり、終わりを切り出されて)


 ぐらりと地面が揺れた。
「――――!!」
 慌てて手をついて倒れこみそうになる体を支える。

 その日はいつだろうか。十年後? 五年後? 一年後? 一週間後? それとも――――今日?

 可能性が無いとはいえない。だって、終わりは突然だったから。

 気道が狭くなったみたいに息ができなくなって胸元を抑える。


(万事屋ん時とは違う。いきなり切り捨てられるなんてことはありえねぇ。副長である俺の変わりはいねぇはずだから)

 いねぇ。そう思った矢先からいろんな隊士の顔が浮かんでは消える。決済書は村上、報告書は仲田、予算の交渉は高原――――。
 土方しかできない仕事など一つもなかった。一人で全部こなせる奴はいなかったけど、分業すれば過不足なくやっていけるのではないか?

 地面がぐらぐらぐらぐらと揺れ続ける。

 確固たる居場所が、ない。どこにも。



 万事屋に行きたい。そう思った。
 だけど、真選組の仕事もきちんと終わらせなければならない、と思った。

 せめぎ合ってぐるぐる回る。何から手をつけていいのか分からなくなる。

 一日でも万事屋に行くことを止めたら、完全に銀時との絆が切れてしまう。
 仕事が少しでも遅れたら、真選組で居場所がなくなってしまう。

 しなければいけない。居場所を守り続けなければならない。

 土方はふらりと立ち上がった。

 銀時はとおに通り過ぎていた。



(しごとを、しなければ。)

 巡回も、書類作業も、完璧に。


 土方は倒れこむ体を支えるように、歩き出した。






 



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