土方が帰宅したのは九時過ぎだった。
 遅かったことに文句を言われると覚悟していたのだが、銀は責めもせず、土方に風呂を勧めた。
「沸いてんの?」
「おう。湯加減もばっちりだぜ。飯できるまで時間かかっから、ゆっくり入って来い。土方クン今日も顔色悪いぜ。少しでも疲れをとっておかないとマジ倒れる」
「……あぁ。飯は、いらねーから」
「何で? 食ってきたの?」
「食ってる暇ねぇ。資料を読み込まないと明日も会議があるからな……」
「俺の話聞いてなかったのかァ? 休まないと倒れるっつってんだぜ? 飯抜いてどうするよ」
「倒れっほどやわじゃねぇ」
 短く答えて風呂場に向かう。銀はそれ以上何も云わなかった。ありがたいと思う。
 問答している時間さえ惜しかった。銀とミィが居なければ家にも帰ってこなかっただろう。
 ひたすらデスクに座って書類を捲って、ソファで仮眠を取っていたに違いない。
自宅と会社を往復する時間こそがもったいないというのに、不快ではなかった。
「ミィ」
 脱衣所まで付いてきた子猫が鳴く。
 銀に心配され、ミィに甘えられ、重く沈殿していた疲れが霧散した気がした。





 寝室の机で書類を捲っていると、ノックの音がした。
「入れ」
「失礼しゃーっす。ほら、飯持って来たぞ」
「いらねーっつった……」
 文句を言いながら椅子を回す。銀が抱えた盆の上にあったのはサンドイッチだった。
「これなら書類見ながらでも食えるだろ?」
「あ、あぁ…………」
 中に挟まっているのはトンカツ。そういえば、ブタ肉を買ったのだった。
「中にたっぷりマヨいれてるから」
「す、すまねぇ……」
「根つめんじゃねーぞ」
 ぱた、と戸が閉じる。
(……なんつーか)
 自分の事を考えた飯が出てくるのが普通に嬉しかった。




 翌日の会議はまた口論の場のようになった。
「jouiと手を組めば一人一人の負担も減る。社員がのびのびと仕事ができる環境になるんだよ。それのどこがいけないんだね」
「何回も言ってるだろ! 連中と手を組むなんて危険だ! 俺達の会社は成長してきたが、連中と比べりゃ取るに足らねぇ。ヘタうったら吸収されちまう! そうなったら社員の負担もへったくれもねぇ。何かあった時切られるのは俺たちの方だ」
 冷やかな伊東に比べ、土方は喧嘩腰だ。
「今回の書類にも明らかに不利な内容が盛り込まれてるじゃねーか。大体、役に立つかどうかすらわかんねー資格をどれだけ取らせるつもりだ。馬鹿馬鹿しい。んなもん勉強している時間があるなら客回って一個でもニーズに答えさせた方がよっぽど会社の足しにならぁ」
「資格が取れれば昇給になるのだよ? 社員のやる気が上がるじゃないか」
「役に立つのかわかんねーお勉強に時間取る奴だけ給料あげるってのがおかしいっつってんだよ。靴すり減らして必死にやってるやつがバカ見るばっかだ」
「そんな考えだから社員たちが息苦しさを感じて退職者が絶えないんだよ」
 確かに土方のやり方は社員の負担が大きかった。
 新入社員が三日で来なくなったなんてざらになる。
 それでも残り、叩きあげるようにスキルを積んでいく連中も確かに居たのだ。
 そしてそんな連中は確実に昇給している。当たり前の給料形体だった。

 その日もまた会議は決裂したままだった。


「土方さん、顔色悪いですよ。大丈夫ですか? 寝てます?」
 足音荒く通路を歩く土方に、控え目な声が掛けられた。直属の部下の山崎だった。
「俺の顔色なんざどうでもいいから、jouiについての資料をもっと集めてくれ。どんなモンでもかまわねぇから」
「土方さん、俺……」
 言い淀んだ山崎に、土方は小さく息をのんだ。
「伊東に付いてるのか」
「はい、すいません」
 山崎は直属の部下だったが、隙さえあれば中庭でミントン振ってサボるような男だ。
 Jouiと組めば仕事が楽になる。そう言われれば付いて行くにきまっている。

 味方はいない。そうわかりきってたはずなのに、一番近しい部下にも見捨てられ――。
 見捨てられ? 馬鹿な事を言うな。
 考え方がちょっと違っただけだ。だいたい、こいつが不真面目だから楽な道を選んだだけなんだ。
「いい。同じ資料でかまわねぇから、俺にも一部寄こせ」
「その……」
 山崎と土方の間に総悟が割り込んできた。にやり、と人の悪い笑いを顔に貼り付けて。
「残念ですが土方さん。山崎はお貸しできませんぜ」
 廊下の先には伊東が立って、こちらを見て笑っていた。
「いい加減にしろよ総悟! 俺は敵じゃねぇ。テメーらとは考えが違うが俺だって会社の為に考えてやってることだ! 情報ぐらい寄越しやがれ!」
「まだ判ってねーんですかィ? こいつは戦いですぜ。あんたが勝つか伊東さんが勝つかって話だ。この会社に重役の椅子は少ないですからねェ。さっさと隠居してその席俺に渡せィ土方」
 沖田も重役ではあったが、多岐に及ぶ書類を回すことができる土方の地位の方が上だった。
 土方は何も言わなかった。ただ黙って足を進めた。



「土方クン、お帰――――」
 銀の顔を見た途端に、土方は玄関に膝をついていた。
「おい! 大丈夫か!?」
 悪酔いしたみたいに気持ちが悪くて視界が回る。

「土方クン」
「大丈夫だ。ちょっと休めば――――」
「吐く?」
「………………」
 しゃべるのも億劫で、ふるふると首を振る。
「うわ、ひでー熱! やっぱ風邪ひいちまったんだな……」
 前のめりになった土方の体がくる、と反転した。

「う、な」
 銀に横抱きにされていた。衝撃におかしな悲鳴が漏れる。
 ベッドの上にやんわりと下ろされた。
「えーっと、着替え着替え……。クローゼット開けるよ土方クーン」
 部屋着を用意すると、力の抜けた体相手に手際よく着替えさせてしまう。
「飯作ってたけど……。おかゆの方がいいみてぇだな」
「何もいらねぇ……食欲ねぇ……」
 また、銀の掌が土方の額に乗った。冷たさが気持ちいい。
「だぁめ。ちょこっとでもいいから食え。風邪薬とか冷えピタとか置いてある?」
「机の引き出しに突っ込んでる」

 冷たいシールが額に貼られ、あれよあれよという間に銀はおかゆと水、たまご酒、薬をサイドテーブルに並べた。

「粥とたまご酒口に入れてから薬な。はい、あーん」
「自分で食う」
 銀からレンゲを奪い取って口に流し込む。火傷しないようほどよく冷まされている。
「………………」
「食べれるだけ食べてくれ。無理はすんなよ。逆に胃を痛めちまう」
「ん」
 時間はかかったがどうにか食べ、薬を飲み、土方はベッドに横たわった。
 銀の掌が布団の上に置かれる。
「やっぱ土方クンは一人暮らし出来ないタイプじゃねーよ。俺がいなきゃ、今頃どうなってたか想像するだけでコエー」
「這ってでも布団に入ったさ」
「バカいってんじゃねーってのォ。テメェは全力疾走し過ぎなんだよ。もうちっと走るスピード落としたって文句は言われねぇだろうに」
 土方は駄目だ。と小さく呟いた。
「味方がいねーんだ、一人も。全力じゃなきゃ追いつけない」
 土方の腕が顔を隠す。
「山崎も、総悟も、仲間だと思ってたんだけどな……」
 土方が零した銀の知らない名前に、す、と銀の目が細くなった。
 酷く不快だった。

 土方の肩が小さく震えている。泣いているのかもしれなかった
 知らない奴の為に泣いている。そう思うと銀の黒い感情が大きくなる。
「なんかもう、疲れちまった……」

 は、と息を付く。

「会社の為とかいいながら、俺は、ただ単に一人空回りしてるのかもな」

 指が白くなるぐらいに固く拳を握る。
「だぁれも、いねぇ……」
 口に出していよいよ、その事実が土方に伸しかかってきた。誰も居ない。誰も。誰も。誰も。
 会社を興してから今日まで、一体自分は何をしてきたのだろう。
 一人の仲間も手に入れられずに、何が会社の為だったのだろう。


「土方クン」

 銀の気配が近づいてきた。掌が土方の頬を撫でる。
「俺がいるじゃねぇか。俺と、ミィちゃんも一緒だ」
「そうだな……」
 そうだ。今はひとりではない。この家にはミィがいて、そして、銀がいる。



「会社、辞めちまうかな」

 
「うん、そうしろ。生活のことなら心配すんな。俺が養ってやるからよ」
 銀が何者なのか土方はいまだに知らない。
 が、ここへ来てから一度も出社していないのは間違えなさそうだ。まともな会社ならクビ確実だろう。土方は笑った。
「ばーか。居候の癖何言ってやがる。辞めねぇよ。お前とミィ養って行かなきゃなんねーし。な、ミィ」
 布団の上で丸まっている猫をなでる。
 曝された土方の目元は赤かった。

 銀は土方に伸しかかり――――、赤くなった場所に唇で触れた。


「……?」
 土方の反応は驚くほどに鈍い。
 唇と唇が触れ合って初めて、体が固くなった。きゅ、と唇を引き結ぶ。
 ちゅ、ちゅ、と何度も吸ってからようやく離れる。
「…………ひょっとしてお前、外人かぁ……? 日本じゃ男にはこんな真似しねーんだぞ」

「気持ち悪い?」
 外人でも唇にしてくる奴なんていねーよ。笑いそうになってしまう。
「別に、そういうわけじゃ、ねーけど」
「んじゃ、いいよな」

 何がじゃあなのやら。普段の土方なら赤くなって払いのけていただろうに、瞼に、頬に落ちるキスを黙って受けていた。かさついた男の唇なのに、やけにふわふわと気持ち良かった。







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